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百武 美沙  先生
​(ひゃくたけ
 みさ)

 

2014年 慶應義塾大学医学部 卒業

2014年 聖路加国際病院 研修医

2016年    Mount Sinai Beth Israel・内科レジデント

2019年 Mount Sinai医科大学・緩和ケア/老年科フェロー

2021年    慶應義塾大学医学部 医学教育統轄センター・助教



※所属・職名等は取材時のものです。

​何事も思い立ったら挑戦する

 

ー先生が医師を目指したきっかけは何でしょうか?

 医学部進学を決めたのは高校3年生の時です。小さい頃から人の役に立ちたい、自分の周囲の人たちをはじめ、より多くの人に健康であってほしいと考えていました。私は内部進学でしたが、内部進学は慶應義塾大学に進学することが決まっている中で学部を選択するため、外部受験とは異なります。高校時代は学校の勉強で大変な時期もありましたが、そんな中でもさまざまな経験をすることができました。それらの経験を通して、自分は人の役に立つことで、能力を活かすことができると感じました。周りの方々から背中を押していただいたこともあり、最終的に医学部に進学することを決意しました。

 

ー高校時代は具体的にどのような経験をされていたのですか?

 高校時代は環境問題に関する活動に取り組みました。小・中学生の時に海外に住んでいたこともあり、当時から海外を意識していました。長期休暇には基本的に海外に行くようにしていました。スペインへの語学留学、兄から勧められたアメリカでのサバイバルキャンプなどを経験しました。ありがたいことに、私の両親は、経験したいこと・挑戦したいことに対してはサポートを惜しまない教育方針でした。

 

ー大学時代はどのように過ごされていましたか?

 大学時代は、医学部水泳部に所属していました。幹部代の4年生の頃に金髪に染めたことをはじめ、思い出は数えきれないほどありますが、部活動との付き合い方はとても大変でした。部活動を通して先輩・後輩とぶつかることもありましたが、部活で得た仲間、そして丈夫な身体・体力は今でも宝物です。

大学時代は他にも日韓医学生学術交流会、ラオス・プライマリヘルスケア保健医療チーム活動プロジェクト、救急救命サークル(KAPPA)、Keio Medical English Speaking Society(KMESS)に所属していました。

 

ー大学時代で一番挑戦したことは何でしょうか?

 5年の終わりの3週間を使ってタンザニアのザンジバル諸島で産婦人科と小児科の研修をさせていただいたことです。水泳部のOBにWHOにいらした方がいて、WHOに興味があると連絡をしたら、その方の紹介で離島の医療現場に足を踏み入れることとなりました。興味あること、やってみたいことについて慶應のネットワークを活用して相談してみることは、学生さんに強くお勧めしたいです。

 

ーなぜそれほどまで多くの活動を両立できたのですか?

 きちんと両立できていたかは分かりませんが、とりあえず挑戦をする、やると決めたらやめずに継続することが自分のポリシーです。

渡米という大きな決断​

 

ー初期研修が終わってすぐに留学されたとのことですが、研修医時代はどのように過ごされていましたか?

 留学の準備自体は学生時代から始めていました。卒業するまでにUSMLE(米国医師国家試験)の3ステップ中2ステップまでを終えていました。研修医の2年間は忙しいので、本当にアメリカに行きたいのであれば、学生のうちにステップ1, 2は終えているのが理想です。私は学生の頃、絶対にアメリカに行きたいとは思っていませんでしたが、英語で医学を勉強したい気持ちもあったため、USMLEの勉強をしていました。

 研修医1年目はあまりにも激務だったため、留学について考える時間もありませんでした。しかしながら研修医として働く中で、やりがいを感じつつも、自分の視野が狭まっている感覚に陥り、このままで良いのかなという気持ちが芽生えてきました。そんな時に背中を押してくれたのが当時からお付き合いをしていた今の夫です。初期研修が終わったら渡米することを決意し、留学の準備を再開しました。

 小・中学生の頃にアメリカに住んでいたこともあり、英語という語学に対するハードルは低かったものの、やはりアメリカで医師として働くのは非常に大変なことです。アメリカと日本、どちらのために医療をしたいのか。身の回りの人たちを幸せにしたいのなら日本で医療をするべきではないのか。そういった葛藤もあり、アメリカに行くことは非常に大きな決断でした。

 

ーみんなと違う道を歩む中で、どのようなことが大変でしたか?

 もともと人と違うことをやるのは好きでした。人と違う方が、他人と比較されづらいので。ただアメリカで1人の社会人として生活するのはとても大変でした。税金、クレジットカードの作成、家を借りるのにもすごく苦労しました。それに加えて家族の元を離れて、別の土地で過ごすことで、何かあった時にすぐ駆けつけられない点も非常に大変でした。自国を離れて生活する大変さを痛感しました。

 

ーアメリカでの留学経験で得たものはどんなことですか?

 たくさんありますが、主に2つあります。

 1つ目はとにかく視野が広がったことです。違う国に行くと、そこには色々なものがあって、色々な人々が共存しています。そういった環境に身を置くことで、自分がいかに自分のレンズを通してしか物事を見られていなかったのかを痛感しました。何事も自分で決めつけてはいけないと感じました。

 2つ目はロールモデルを見つけられたことです。私のメンターは、渡米した際に緩和ケアで出会ったDr. Elizabeth C Lindenbergerという方です。彼女は非常にユーモアがあり、柔らかい雰囲気でしたが、しっかりと物事の白黒はつける性格でした。また自分がやりたいことをやりつつも、家庭も大事にしていました。私はその姿に感銘を受け、緩和ケアに進む事を決めました。自分にとってのメンター、ロールモデルに出会えたことは、大きな財産です。

 

ー留学を考えている学生へ一言お願いします。

 将来臨床医として留学をしなくても、学生時代の留学や研究留学の機会が巡ってきたら、是非そのような経験に前向きに飛び込んでほしいと思います。やはり海外に出ることによって、視野が広がり、レジリエンスが身につくと思います。一方で、向き不向きや好き嫌いもありますので、全員が海外に行くべきだとは思わないです。

仕事以外にも大事なことを両立する

 

先生はアメリカで出産と育児をされたと思うのですが、それはどのような経験でしたか?

 決して楽なことではなかったです。日本で出産をした場合は、1年程は産休・育休を取るという風潮があるのですが、アメリカだと産後1-2ヶ月で職場復帰して、子供を育てながらフルタイムで働く女性医師がほとんどでした。想像をしていたより大変な面も多々ありましたが、周りがそのように仕事と子育てを両立していたので、自分も勇気づけられました。育児支援の制度はもちろん大切ですが、さまざまな事情を抱えた人たちが支え合いながら仕事を続けることをポジティブに捉える、そういった職場における空気感や雰囲気がとても大事だと思います。

 

ーどのように仕事と趣味と家庭のワークライフバランスを取られていますか?

 現在は医学教育統轄センターに在籍しながら、週に1、2回総合診療科の外来をしており、これ以上臨床の負担が増えるとバランスがグッと難しくなると考えることがあります。日本の臨床医は病棟勤務の上に外来や当直もあることが多く、仕事の他に家庭や趣味など大切なことがあったときに、同時に並行しづらい労働環境であると思います。一方でアメリカではフルタイムで働いていても、みんな時間厳守で終業時間に帰ることを徹底していました。これは人的にも経済的にも余裕があるからこそできることではありますが、時間内に仕事を終えるタイムマネジメントの面も学ぶことが多かったです。このような働き方が当然となっているアメリカの方が、ワークライフバランスを取りながら働きやすい環境であったと感じました。

 

ー日本で働く医師はワークライフバランスが取りにくいということに関して、どのように改善できると思いますか?

 医師以外のメディカルスタッフの間でワークシェアリングをより徹底し、医業を分担することが大事だと思います。例えば、アメリカでは薬の処方はNP(ナースプラクティショナー)やPA(フィジシャンアシスタント)も担当できますし、予防接種の一部は薬局で打ってもらうこともできます。このように、仕事を医師以外のメディカルスタッフと分業をすることは1つの方法だと思います。また、「担当患者だから夜間も呼び出されたら行く」というような働き方はサステイナブルではないと思います。これは医療側だけでなく、患者さん側の期待にも原因の一部があると思います。夜間や休日などの引き継ぎをしっかりするためにも、医療をより標準化させる必要があると思います。

今後の課題を見つけていく

 

医学教育統轄センターの助教として日本教育の課題

 私が日本に帰ってきて気づいたことは、学生だった頃から医学教育はそこまで変わっていないということです。もちろん少しずつ変わっている面もあると思います。例えば、ひたすら一方的に暗記項目を羅列する授業から、症状から病態・疾患を考察する授業、学生と教員間のインタラクティブな授業が増えてきていると思います。さらに改善できる点としては、病院実習において、医学生をもっとチームにいれていき、診療参加型の実習を実践するというのが重要だと感じます。医療現場に実際に足を踏み入れることで、学生も医学を学ぶモチベーションにつながりますし、「こういう医師になりたい」という具体的なイメージを持つことができると思います。他には、終末期医療に関する教育がより浸透することを願っています。治すことができない病気は多く、老いるということ・亡くなるということに関して、学部の教育でもう少し体系化したものができればと思います。治すことができない病気と向き合う患者さん、亡くなる患者さんのご家族などと、どのように対話をし支えていくのか、ということは、大学時代も医師になってからもなかなか教わる機会がないのが現状です。医学部には、人々が最期までよりよく生きることを支える医療者を育てる、という役割も期待しています。

 

ー先生はSNSや講演を通じてインフルエンサー的な存在でもあると思います。意見をSNSで発信することは先生にとってどのような意義がありますか?

 何か社会へ伝えたい、とアプローチをする場合、社会を構成する人の一人ひとりみんな物事の捉え方も違えば、情報の集め方も、その時の関心も違うと思います。情報が溢れている現代では、様々なプラットフォームで、大事だと思う情報を発信し、シェアしていくことが大切だと思います。また、コロナ禍で対面で人と繋がることが難しい昨今ですが、SNSを通して人の輪や繋がりが増えていくことを実感しています。SNSだけでなく、宇宙医学のポッドキャストもやっているのですが、それらを通じ、新しい人間関係の広がりはもちろん、本の出版や講演などの機会もいただくようになりました。

 

ー宇宙医学の話をされていましたが、宇宙医学はどのような点に魅了されましたか?

 私は小学校2年生の頃から宇宙飛行士になりたいと思っていました。宇宙医学は一言でいうと極限医療だと思います。一歩でも踏み出せば死んでしまうような環境に人間が進出するにあたって、まだまだ分からないことが沢山あることが非常に面白いと思います。宇宙医学における医療課題を大きく分けると、放射線被爆の観点と、微小重力における体の変化という観点があります。宇宙に人間が滞在するとなると、今までに考えていなかったような循環器、皮膚科、眼科など様々な科の横断的な知識や考察が必要になってきます。今までの医学知識を全部統合して未知に挑むということに魅了されました。

 

ー最後に、医学生の後輩へのメッセージをお願いします。

 学部生でいる間は、何にでもチャレンジできる貴重な時期なので、今のうちにやれること、勉強できることを積極的にしていってください。何かあればいつでも相談してください。応援しています。

百武 美沙  先生(ひゃくたけ みさ)

 

2014年 慶應義塾大学医学部 卒業

2014年 聖路加国際病院 研修医

2016年    Mount Sinai Beth Israel・内科レジデント

2019年 Mount Sinai医科大学・緩和ケア/老年科フェロー

2021年    慶應義塾大学医学部 医学教育統轄センター・助教

※所属・職名等は取材時のものです。

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